努力は報われるとか報われないとか 絶対評価と相対評価

巷で良く聞く努力は報われるとか報われないとかについて適当に語ります

努力しなさい、努力不足、努力は絶対報われる報われないのは努力じゃない
とにかく努力、がむしゃらに努力、努力、努力、努力、努力、努力
努力の力でゲシュタルト崩壊を起こしそうな感じです、努力スゴイ

努力と一口に言っても目標によって報われるかどうかは変わってくるはずです。
例えばの話、自転車に乗れるようになるのと自転車レースで1位になるのとでは
明らかに違うのに同じ努力の扱いになっている気がするのです。

自転車に乗れるようになるは絶対的な目標である絶対評価の世界
自転車レースで一位になるは相対的な目標である相対評価の世界
それを望む人間すべてがあらゆる手段を使えば全員が自転車に乗ることは可能なはずです。
しかしどんなに望もうが努力しようが全員が一番になることは不可能(全員同着同タイムなら可能とか言わないで)
一番とは最も他人の努力を報われさせなくする事によって手に入れる称号なのです。

じゃあ相対評価の世界で全員が最善の努力をしたら最後は何で決まるのか?それは遺伝だと思うわけです。
そんな極限の努力の終極状態を作り出さないで楽に良い結果を手に入れるためにはどうすればいいんだろうか
カメに走らせ、ウサギを泳がせ、ペンギンに海を泳がせない策はないだろうか
もしかしたら「夢はあきらめなければ絶対にかなう」相対的な目標に対するこの言葉は計略なのかもしれません
しかも夢と努力の売人として儲けることも出来るわけですし

ってなわけで自分はこう考えるわけです。


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